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竹下さん

 投稿者:masa  投稿日:2011年10月21日(金)18時50分55秒
  私も同窓会のOBではありませんが、九大工学部卒業で、且つ鶴丸の出身です。ここのブログはおかしいと思いますが、(というのは1年間誰も投稿していませんので)まだ継続していると見て投稿します。竹下さんは宿痾に罹りましたが、4年ほど頑張られましたね。2008年でしたか、亡くなられる前の鶴丸の同窓会で、4年も頑張ったので、もう抗ガン剤の投与は拒否したの」と言われました。私は唖然として声も出ませんでした。久本希世史君は乃り子さんと同居だったと思いますので、良く探したら福岡の住所は出てくると思います。疋田さんに送ればよいのですね。  
 

竹下乃理子さん

 投稿者:疋田英幸メール  投稿日:2011年10月 6日(木)18時27分35秒
  中間様
学窓会のOBではありませんが、九大経済学部を昭和36年卒業しました疋田英幸と申します。竹下乃理子さんの訃報を今頃になって偶然インターネットで知り、ただただ驚いているところです。竹下さんが千葉県柏市に居られたころ懇意にさせていただいており、毎年年賀状を頂いていたのですが、今年はなかったので気になっていたところです。もし、久本希世史君の住所がお分かりでしたら教えていただきたいと思いメールしました。また、久本了平さんの消息もお分かりでしたらお知らせいただければ幸いです。久本さんは体調を崩され下関に居られるとのことで一度お訪ねしたのですが、お会いできなくてそのままになってしまいました。
学窓会には大変お世話になり、OBの澤田さんとは今も年賀状の交換をさせていただいておりますが、昭和31年から36年頃活躍されて居られた方々も懐かしく思い出されます。
みなさんのご健康をお祈りいたしております。
疋田英幸
 

命日

 投稿者:野口(亀岡)翼博  投稿日:2010年 4月21日(水)16時53分34秒
   1年ぶりに書きます。きょう4月21日は竹下乃理子さんの命日ですね。
当地では3回忌になります。今井先輩の「4月21日」は必ず思い出しましょう、の言葉を思い出しています。
 私の実母も養母も養母の母も4月が命日なので、呆けない限り頭に浮かぶでしょう。
 ところで、皆さんお元気ですか。私は、元気ですか、と尋ねられると、元気じゃありません、と答えています。長年の不摂生が蓄積し、気力、体力とも衰退の一途をたどっております。
 昔からあまりくよくよ考える方ではありませんので、なるようになるでしょう。
 また、何かありましたら声をかけて下さい。
 

竹下先輩のご冥福を心よりお祈りいたします

 投稿者:なかままさみち  投稿日:2009年 5月 1日(金)03時17分55秒
  癌と闘っておられるとは聞いておりましたが・・・・突然の訃報でした。
人にはそれぞれ寿命が決まっていて、それは神様が決めているのでしょうか?
神様などいないと確信している私ですが、こんなときだけひょっとすると神様が・・・
などと思ってしまいます。
さて、私の寿命を神様はどう決めているのかな?などと思いながら、
以前お会いした竹下先輩を思い出しています。ご冥福を!
 

4月21日

 投稿者:今井 眞澄  投稿日:2009年 4月28日(火)21時53分1秒
   竹下乃理子さんが昇天なさいました。学窓会に入ってこられた日、先輩として迎え、模試の成績優秀者のなかに「乃理子」という文字を初めて見ていた(こんな「ノリコ」もあるのか、と思っていた)こと、竹下乃理子さんとはこんな学生だったのか、と法学部の後輩を眩しく見ました。あれから半世紀。
 一生懸命に生きてこられた女性でした。男優先社会日本の、鹿児島・鶴丸高校で男と対抗して学び、男に嘆声をあげさせたと聞きました。結婚も、その激浪も逃げずに、船を逆風に立てて凌ぎ、また、難病にも負けずに戦い続けられました。
 学窓会の集まりにも、何回も出席なさって明るく歓談に加わって下さった。参院議長公邸での総会に私が初めて参加した時、すぐ傍で懐かしく話して下さった優しさがいつも思い出されます。
 4月21日は毎年必ず思い出して、箱崎で、学窓会で、いっしょに生きた日々を想いましょう。それにつけても、中山さん、濱田さん、速報心から感謝します。土橋さん、野口さん、ご一緒に、私も哀悼・・・。
 

竹下さん、どうぞ安らかに

 投稿者:土橋紀子  投稿日:2009年 4月24日(金)10時14分50秒
  長く苦しい日々を逃げずに本当によく頑張られた思います。
今年の賀状もいつもの美しい文字で、まだまだお元気にと思っていたのですが。
同期の優秀ですばらしい人格の人を二人までも喪ってしまい、残念の極みです。
深く哀悼の意を捧げます。
 

竹下様のご冥福を心よりお祈りいたします

 投稿者:野口(亀岡)翼博  投稿日:2009年 4月23日(木)17時04分16秒
   残念です。年代こそ少し違いますが、東京で、福岡で、奈良で、元気なお姿を拝見してましたので安心していましたが、やはり病気と闘っておられたのでしょうかね。ご冥福を心よりお祈りいたします。  

訃報

 投稿者:はまだとしあき  投稿日:2009年 4月22日(水)20時21分28秒
  竹下乃理子さん(68歳)が、平成21年4月21日午後16時15分
逝去されたそうです。謹んでお知らせいたします。

【通夜】
  日時  4月22日(水)18:00~
  場所  まつだハートプラザ・平成苑
      〒811-2234 福岡県糟屋郡志免東8-14-18
      ☏ 092(936)2580

【告別式】
  日時  4月23日(木)11:00~
  場所  同上

  喪主 久本 希世史(続柄 長男)

この知らせは中山安博さん(日本生命)から受けました。
竹下さんが相談役(元取締役総務部長)をされていた、
国際経営㈱から通知をいただいたそうです。
 

沈まぬ太陽

 投稿者:はまだとしあき  投稿日:2009年 3月21日(土)10時28分1秒
  昨年の5月以来7ヶぶりに投稿し始めて、今回が6回目なのですが、みなさんからの半農、いや反応がまったくないので、果たして読まれているのか、読んでもバカバカしいと思われているのかまったく自信がないのですが、とりあえず10回ほど続けます。

前回は本についてでしたが、その他にも紀行文とか物語を創作するとか、いろいろな作文をさせられました。その一つにインタビュー記事(家族・友人)がありました。私はテニス仲間にしたのですが、「まだダメ!」「もっと深掘りして」で、3回書き直し、最後に驚くような内容が飛び出しました。

【再々回答1-04番】:
インタビュアー:ハマダトシアキ
取材相手:河田○○さん(テニス仲間 69歳 元商社勤務)

――河田さんは、毎年海外旅行されていますね。
「商社に勤めて、ミャンマー、ケニア、イラクに駐在し
ました。海外出張も多かったんですが、土日に出発・帰
国で、観光はできず、行きたかった所が沢山残り、いま
世界遺産を中心にまわっています」
――景色より、歴史や文化を見たい?
「スイスの山より、エジプトの歴史を見たい」
――もう何ヶ国位行ってます?
「40数ヶ国までは数えましたが、60~70位でしょうか。
欧米・中近東・アフリカ・アジアを満遍なく行きたい。
来週からヨルダン・シリアに行きます」
――ケニアはアフリカの東海岸で、首都はナイロビ?
「そうです。東アフリカの中心都市で、アラビア半島に
近い。赤道直下ですが、ナイロビは1600mの高地で涼し
い。かっての英領で、外人居住区は美しく整備されてい
ました。野生動物のサファリツアーも知られています」
――山崎豊子の「沈まぬ太陽」で、左遷されていた?
「そう!主人公のモデルになった方とは3年間一緒で、
あの方が“左遷”されて来ていたとは、当時は全く気が
つきませんでした。ケニヤの大自然に、日本人の中では
誰よりも惚れ込み、いつもニコニコ溌剌、エンジョイさ
れていました。ハンティングにも連れて行ってもらい、
そのときしとめたインパラの首の剥製が、いまも家にあ
ります。帰国後も夫婦で親交を深めました。
――え~っ?!それは驚きました。あの波乱万丈の物語
は、もう夢中になって読みました。
「アフリカは日本から遠く、未開の地=島流しという印
象があり、小説の題材にもなりやすかったのでしょうが、
左遷など吹き飛ばすほどの魅力がありました。海外に駐
在したり、旅行する意義は、日本にいては気がつかない、
行って見ないとわからない、違いとか素晴らしさを発見
することにあるのではないでしょうか」

<振り返り>
私は山崎豊子のファンで、全作品を読んでいました。主人公は1960年代、
JAL労組の委員長で経営陣と激しく対立、「巨大な航空会社の恐るべき
裏面と暗闘…。時代と組織に弄ばれた主人公の過酷な左遷。現代の流刑の
徒を鮮烈に描く」(単行本オビから)という本です。思いがけない内容を聞
き出すことができ、また読み返したくなりました。イラク、バクダッドに
ついてもいろいろ訊きましたが、うまく引き出せず内容がいま一つでした。

これを書いたのが昨年の11月で、その後オバマ大統領が当選し、ケニア
が注目され、タイミング的にもグッドでした。

それにしても同じサラリーマン、同じ男の一生ながら、世界を相手にした、
大手商社のすごさを痛感します。おそらく数ヶ国語は話せて、何でも食べ
られ、どこの水にも強いのでしょう。どこでも眠れるし、誰とでもつきあ
えるし、健康も衆に優れ、世界地図にも強いのでしょうね。
 

推敲吟味を重ね、磨きぬいた

 投稿者:はまだとしあき  投稿日:2009年 3月17日(火)22時44分23秒
  前回は文章が長すぎて、大変失礼しました。使用前・使用後の違いを明確にしなければと思い、つい長くなってしまいました。

それにしても、初回答のお粗末さには、いまさらながらがっかりします。言い訳を少しだけしますと、お題が多いから「回答は推敲しないでいいからドンドン出せ、“仮留め”でいい、そうしないと間に合わないよ」が師範代の方針だったんです。

私は学窓会の『アロン』を始め、会社に入っても社内報や組合など、いつも書く場に恵まれ、好き勝手に書きまくってきました。ただ残念ながら文章指導・修行の機会には、一度も恵まれませんでした。みんなに「面白い、面白い」と言われ、いい気になって書いていたのですが、陰では笑われていたのか。いま思うと、冷汗、あぶら汗モノです。

私のモットーは一つ。「むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをおもしろく、おもしろいことをまじめに,まじめなことをゆかいに、ゆかいなことをいっそうゆかいに」(井上ひさし)だったのですが、とてもとても…。

 今回は800字という字数制限には困りましたが、最終回答は推敲吟味を重ねて磨き抜かれ、まずまず、いい文章になったと大満足でした。そう思いません?私はそう思っていました。自信がありました。

 そしてこのお題は、実は学衆(学生をここではそう呼びます)126人のうち114人がエントリーし、その中から40数作品が優秀作として選ばれました。が……私は選ばれませんでした!講評は次の通りです(講評は師範代の上にいる師範など10数人のメキキの同朋衆が行います)。

(講評)
痛烈な指南に堪えて、推敲し切った行程を称えたい。格別の手ごたえも掴んだ様子。
師範代もお手柄だ。著者に真摯な共感を寄せる一所懸命の読み口は好感に溢れる。実
は創文は、再々回答が分岐点だったのではないか。アタマとシリがいい。特に冒頭の
分かりやすさ、筆者と本書との邂逅が十分に語られ、捨てがたい。あの落ち着きを生
かすと、濱田さんのユーモラスな視点で女性科学者の壮絶な人生を情愛深く照らせた
かも。比較検討を推奨したい。

「私の指南が悪かった」と師範代はしょげるし、私はがっかりするというより、みんなのレベルの高さにあらためて驚きました。落選理由はよくわからなかったのですが、私らしさが出ていないのか?私の作文の特徴とか持ち味は軽さとリズムにあって、推敲とか吟味、スキのなさは似合わない?もっと軽々と気楽に面白くいくのがよく、マジや一所懸命は違う?いまだによくわからんのです。みなさんはどう思います?
 

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